正義より正気を
・・・という見出しを読んで、思わず唸ってしまいました。
 朝日新聞のコラム欄に書いてあった去年の夏の事です。
 瀬戸内のひっそりとした静かな町を題材にして、
近代化の中で私達が忘れて来たものを丹念に拾い上げ、
多くの心温まる映画を撮ってきた大林宣彦さんの弁。

 「う~ん、そうだよねえ」と、おおいに感心してしまいました。
 問題がなんであれ、カッカしちゃ駄目だってこと。それを言うなら、
個人間であれ、国家間であれ、あらゆるいざこざや紛争のもとは
一つしか測れない物差しで相手を測るから話がややこしくなってしまいます。
 自分の物差しで測り、寸法に合わないと言って相手を糾弾する。
 そのように固い定規を振り回せば、周りにいる者はたいへん迷惑します。
危なくて仕方がありません。
 
 なぜ、いまさら、そんな事を思い出して言うのかと言えば、
近頃、世界のあちこちで物騒なテロ事件が頻発してるからです。
 今回、直木賞を取った西加奈子さんも、彼女の小説を書きだした
そもそものきっかけは、「宗教の違いがもとで人が殺し合うことに、
どうしても納得できなくて」だったんだそうです。
 
 それぞれの言い分はあるにせよ、要するに神の名において
あるいは正義の名において、あるいは国家の名において、
あるいは自由の名において、その他諸々の勝手な理屈を付けて
お互いがお互いを憎み合いかつ、あまつさえ殺し合いさえするのは
もうよしにしたい。そういうことの愚かしさについては、
本当は、みな、分かって居るはずなんです。なのに、
人類は、そのことをいまだ克服できないでいます。
 
 「ホントにバッカじゃなかろか」という人もあるけれど、
私たちは大きな事言えた義理ではありません。かつての私たち日本人も、
国家という大義名分に踊らされ、他国民と言わず、自国民と言わず、
命を粗末に捨てさせて来た痛恨の歴史を持っているからです。

 それを忘れてはいけません。それも、ほんのわずか、
七八十年前のことにしか過ぎないのだから。
と言う事は、いつだって私たちもまた、同じ愚を
おかすかも知れない恐れはあるからです。

そういえば、幼い頃、若い頃、喧嘩してると、
親父や教師たちによく叱られておりました。
 「こら!喧嘩なぞしてる場合か?お互い、頭を冷やせ!」
 要するに「正気になれ」ってことだったんですね。
 今時、そう言って親身になって叱ってくれる人は
いませんからね。どうしたら良いんだろ?
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by sobaya-mokuami | 2015-01-22 21:08
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