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「蕎麦屋を廃業してからのこちら、『毎日が日曜日』の暮らしに、
少しは慣れたか」だって?いやいや、そういう落ち着いた心境には、 残念ながら、まだまだ到ってはおりません。 悠々自適の、時に茶室(もちろん、我が家にはないけれど)に籠って、 お抹茶でもたてて啜るような・・・ そういう静かな境地には、いささかほど遠い毎日ですなあ。 と言いますのも、随分片付いて来たとはいえ、 まだまだそこらには、数ヶ月間我が家を占拠していた 娘達の細々した道具類がそこいら中に転がっているし、 洗面道具類やら何やらと、生々しい痕跡さえもが 家中至る所に残っています。「おい、これらのモノは、 早急になんとかしろよ」とは、言ってはいるのですが。 「ハイハイ」と、なかば上の空で返事はして呉れるものの、 奴らも連日忙しくしてますからね。強いことは言えません。 それに、私たちは私たちで、大きくてけっこう場所をとる 蕎麦屋の道具たちの置き場所さえも、最終的にはまだ決めてはおりません。 そういう状態が続く中での整理だから、気ばかりは焦るものの、 すっきり片付けようにも、なかなか埒があかないのです。 物の本によれば、現代のアメリカ人は死ぬまでに約3000万点の モノに囲まれて暮らして居るんだそうですね。そう言えば、 私達の若い頃から比べれば日本人だって、随分どうでも良いような ガラクタに囲まれて暮らすのが、当たり前のようになっています。 『断・捨・離』が流行る訳ですよね。昔、よく耳にしていた 『シンプルライフ』は、どこへ行ってしまったんでしょうかね。 なお、その上に増えに増え続けている本の整理もあって、 この際にと思って、相当に処分はしたものの、それでも尚、 日に日にとまでは行かずとも、いつの間にか増殖し続ける 本や雑誌、パンフレットなどなどのガラクタには、 なまじっか重たいだけに、ホトホト手を焼いています。 思いきって辞書や地図や雑誌の類い、つまりリフアレンス関係、 の本だけはまとめて狭い廊下に置き、文庫本だけは私の寝室に、 既存の本棚に特別の板を用意して、収納することに致しました。 これにはちょいとした工夫を凝らし、空いたスペースが無いように 文庫本が乗るだけの奥行き15㎝の細い棚板を びっしり細かく間に差し込んでの、苦肉の策です。 それにしても、現代人はモノを持ちすぎていますよね。 『松下禅尼』というお方は、死ぬ前には、殆どのものを人に譲ったりして、 端切れ一枚粗末にはせず、整理し尽くして、一切のものを持たずに 亡くなってゆかれたそうですね。どうぞ神様、私が死ぬ時、 我が家がガラクタに囲まれてのゴミ屋敷になりませんように・・・
by sobaya-mokuami
| 2017-07-16 11:17
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