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お盆が近づきました
 数十年来、溜まりに溜まった新聞の切り抜き記事を
少しづつ整理しておりますが、昔の記事でも面白い記事に出会うと
つい読み入ってしまうので、なかなか捗らずに難儀しています。
 でも、偶には、「オオーッ」と思うような面白い文章に
出あうこともあるので、それはそれとして楽しみなんです。

 その中のひとつに、藤原新也さんの文章でこういうのがありました。多分、
若い自分の私なら誰彼なしに(受け売りで)吹聴してた筈だから、
周囲の人なら、一度くらいは聞いたことがあるやもしれません。
 
 インドを旅した二十代のころ、仏教で言う正法増法末法とは
一体なんだろうと考えていた。ものの本には正法は釈迦入滅後千年間の
正しい教えが伝わる時代。像法は信仰が形式化する以降の千年間。
 末法は仏法が衰えた濁世の一万年とあるのだが、宗教に縁のない
若者にとってはさっぱり現実味がなかった。そこで私は”釈尊”を
”自然”という風に置き換えてみた。自然の構造には人を生かし、
戒める法理が潜んでいることに薄々気づき始めて居たからだ。 
 そうすると正法はさしずめ、人間が自然と正面から向き合っていた
農・林・水産などの第一次産業時代。像法は自然を加工し、自然の“像”が
生き残っていた第二次産業である工業の時代。末法は自然との関係を
まったく断った第三次産業の情報化時代にぴったりと当てはまる。
 つまり自然=神、であるとするなら、私たちは今、神を失った
バーチャル・リアルな末法に住んでいるということだ。云々・・・

 たまたまいつものくだらないTV番組で、昨夜、お坊さんが出て来て
仏教の話をしていたから、それで私もついつい引用してみました。
 「どうせなら、林先生もこれくらいのことを言えよ」と、思ったからです。
 と、高飛車にいう程のことでもないんですが、まだしも現代人の私たちには
こういう説の方が判りやすいというか、納得しやすい説明にはなっていると思うのです。 
 いえね、「暮らしにくい世の中になって来たもんだ。政治家どもが
揃いも揃って詰まらんヤツばかりだからか?」と、かねがね苦々しく
思っておったのでしたけれど、実はそう言うことだったんですね。
 なにしろ、末世ですからね。それもまだこういう状態が、
これから先もずーっと一万年も続くんですからね。やれやれですよね。
 しかし、それにしても暑いですね、毎日!こういう時は
悪あがきせず、堂々とサボってみたら如何ですか、諸君?
 どうせ、末世ですからね。あんまりシャカリキに
働きすぎると、死にまっせ・・・!
by sobaya-mokuami | 2017-08-03 17:53
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