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ふるさとを歩く
こんな話をすれば齢がバレそう(だからと言って、別にどおってことも
ないのですが・・・)な、お話をしたいと思います。
 私たちの住む大牟田市は、嘗ては産炭地として大いに栄えた町でありました。
無論今もそれなりに頑張っては居るのですが、歴史の流れには抗い難く・・・でして。

 そのため戦時中は、ピカソのゲルニカではありませんけれども、
米軍B29大型戦略爆撃機による二度の空襲を受け、大型爆弾や焼夷弾攻撃で
三井系石炭コンビナートの工場群は無論のこと、一般市民の住む
住宅地や商業地までもが、壊滅的な被害を受けました。当時は殆どが
木造建築だったため、一面の焼け野原と化してしまったのだそうです。
 
 言うまでもなく、我が家も全焼。店も自宅も一挙に失ったそうです。
 家族全員は着の身着のまま、火の下をかいくぐり、火の海の市街地を
ジグザグに通り抜け、やっとの思いで先行の兄二人が待つ疎開地へ
逃げ出した、ということでした。勿論徒歩で、夜通し歩いて・・・
 
 疎開先では、時局柄たいそう不便な暮らしを余儀なくさせられた
らしいのですが、幼くて殆ど私の記憶には幸い?残っておりません。
 けれども戦後、私鉄路線から随分奥には引っ込んでいるけれども、
父が家を建ててからは多少は改善されたのではなかったでしょうか。
 勿論当時のこととて、大人達はそれでも不便な思いはしたでしょうけれど、
そこでの暮らしは私にとっては毎日がただ楽しくて、今、思い返して見ても、
およそ懐かしさしか感じられません。

 私は今年で77歳になります。身体のアチコチに深刻なガタが来る前に、
自力でなんとか歩けるうちにと思って、疎開先の家のあった辺りを
隈無く散策してみようと、今回、始めて思い立ったのでした。
 それも私鉄の(無人)駅から歩いて丘の上の家があった所まで。
 さらにはそこから、ひとつ手前の駅までを大きく三角状に遠回りして
歩こうと言う目論見です。

 途中にある二カ所の神社にお参りしたり、やや董の立ちすぎた土筆を
採ったり、嘗ては蛍が飛び交ってた小川(今はコンクートの三面張り)
の傍を歩いたり、今も変わらず、不気味に静まり返っている沼の畔に立ってみたり、
家内にその都度昔話をして聞かせたりして、のんびり歩いて参りました。村の中央に
立っていた火の見櫓は、さすがにもう無くなっておりました。そりゃ、
そうかもしれません、何しろ70年近くなる昔の話ですから。
 しかし今回の急な思い立ちは、家族には迷惑をかけたきらいはあるにしても、
私自身、遠からずゆくであろう冥土への、良き手土産になりそうな気がしてなりません。
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by sobaya-mokuami | 2018-04-01 23:34 | Comments(0)