読書日和
 暇に任せて、のんびり読書三昧の日々を送っています。本日はまた、
まさに格好の「読書日和」です。朝からぐずつき模様のお天気なので、
外出はしたくないし、そう言っても、別に差し支えはないでしょう。
 昨日の夕方は、日が落ちる頃を見計らって、それでも一万歩近く
歩きました。そこまで頑張ると、さすがに足腰に応えますね。

 ところで、昨日の朝日新聞の鷲田清一さんの有名なコラム
『折々のことば』に、中川季枝子さんの言葉として
「本を読むのにもエネルギーが必要です」とありました。
「だとすると、さしづめ俺なんかは外見は悪いが、
まんざらぐうたらしてる訳でもないのか?」と、すこし安心。

 ただ、本を読んで賢くなる人も居れば、或はそうでない人も、
中にはいるかもしれません。どうやら私なんぞは、
もっぱらそのクチらしく、却ってバカになってる可能性が、
ないとは断言できません。だって、その都度、フムフムと感心して
読むんですが、結局はm何がなんだかよく分からなくなってしまって・・・
本を手にした途端、近頃は、いつしか自然に眠たくなって来て、
ベッドの背もたれに寄りかかり本を手にしたまま
眠りこけていることが多いからからです。
 大体において、両サイドにある灯は、煌煌と点けたまま・・・

 関川夏央は、「本など読まずに済めば、それにこしたことはない。
 うかつでも生きてゆける世の中なら、うかつな気楽さに
身を任せてもみたい。本は考える種を与えて、無為の時間を
埋めてくれるが、人を幸せにするわけではない」と、言いました。
 確かにそうなんですよね。でも、多くを望まなければ、それはそれで、
良いのかもしれません。要するに、こちらとしては、
単なる「暇つぶし」なんですから・・・万一何か考えることがあったにしても、
「休むに似たり」どころか、たちどころに「お休みタイム」ですからね。

 私としては、ただ単に、活字を追うこと自体が、
とても、楽しいから・・・にすぎません。
 時空を超えて、どんなに遠くて、昔の偉い人とも
対等につきあえるし、もし私が気に入らなきゃ、即、
パタンと本を閉じれば済むことだし、
こんな気楽な相手はおりません。

 それに私もそうそうはいつまでも、こうしてはおられません。
 加齢とともにどんどん視力は落ちて行き、微妙に左右の視力が違い、
焦点もずれ、細かい字はまるで見づらくなって来ているからです。
 そんな私には、もはや時間などさほど残されてはいないからです。
 なんと申しても、いい加減私は、もう齢だから・・・あ、
それは、皆様、先刻ご承知のことでした。

 「人には二種類のタイプがあって」と、いつだったか書評の中で
河合史夫は言ってます。「生きてゆくのに本など必要としない人間と、
本を読まない訳にはゆかない人間と。前者は幸福だ。しかし後者に
とって、この出版洪水の時代に何をどう読むかは常に悩ましい問題だ」
なんて書いていました。たしかに・・・私は心からそう思いました。
 でも、ひょっとしたら、このお説の中にはご自分のボヤキも、
少しは混じってたのかもしれません。
 その彼が「名うての読書家だ」と太鼓判を押していたのが、長田弘でした。

 数年前に亡くなった希有の読書家であったこの詩人は、
「何の為に本を読むのか」という自ら発した問いに答えるかたちで、
私達にこう教えてくれました。
 「『極上の時間を自ら手にする為に』とそう言い切るのは、
アントニオ・ホセ・ポリバールという名の老人です」・・・と。
 うーん。残念ながら、人によって選択する本のレベルはまちまちだから、
ややもすれば「極上ではない」ところで、私などは満足してるのかもしれません。
 が、それはまあ、この際、「人は夫々」ということにして「佳し」として
おきましょう。そうか、読書というのは「極上の時間」を得ることなんだ!
 ・・・なんだそうですってよ、諸君!ま、せいぜい本は読んで下さい。
 レベルのことは、あえて問いませんから・・・是非。どうぞ。
 
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 これは、数日前の写真です。
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# by sobaya-mokuami | 2017-09-07 16:56
これから面白くなる時代かも?
 数日前、古い友人から電話があって、コンサートのお誘いを受け、
昨日は久しぶりに市の文化会館へ行ってきました。グリークラブの発表会が
あったからです。ご承知の通り、グリークラブは、男声合唱団でして、
大体熟年の暇持ちのおじさん達が集うことになっています。多分・・・

 中学生の頃から合唱部にいた友人も、少し前までは会員でした。
 但し、会員だった頃には、「お前は仕事で忙しいだろうから」との配慮からか、
お誘いを受けることなどは、ついぞありませんでした。
 
 ところで、演し物は、ご存知中島みゆきのソング集、日本民謡、
それに多田武彦とかいう人の作曲による男性合唱組曲でした。他にも
みやま市から女性合唱団『せたか』も、賛助出演してくれておりました。
 
 立秋は過ぎたとはいえ、まだ残暑厳しいこの時期、果たして日中、人は
来るのかと思ってましたが、見渡したところ、大方の席は埋まっておりました。
 わが町のことを「文化果つる所」だとか、「斜陽都市の代表」みたいに
言ってますけれど、どうしてどうして、こうして面では案に相違して
まだまだの余力は残っているみたいです。私も、久しぶりに上質の文化に
触れた感じにはなりました。「こうしたのも、まんざら悪くはないね」でした。
 
 ことにお年寄り向けのメニューとして、「中島みゆき」ってところが
泣かせるじゃありませんか。もっとも、一番のターゲットは、私達よりは
ほぼ十年若い「団塊の世代」ってとこでしょうけれど、狙いとしては良い。
 まあ、それだけ低レベルの客層に合わせたってことかな?
 
 終了後、いささか覚束ない足取りの友人を送って、駅まで付き合い、
ついでに、最近私が発見したブック&カフエ『TARAMU』という所へ
ご案内しました。
 というのも、彼は、読書好きの多い友人知人の中でもダントツの読書家なので、
ぜひとも紹介したかったニュースタイルの本屋さんだったからです。
 で、どういう本がそこにおいてあるかと言えば、ごくごく小さな店だから、
展示してある本の数は限られています。けれど、それだけにその選択眼が
良いんですね。
 
 セレクトする視点がとてもユニーク。斜に構えたと言うか、娘夫婦が、
ささやかな部数で今刊行してる雑誌『PERMANENT』も、実はそうなんですが、
今までとはすこし違ったアングルからこの社会をとらえ、問題点を指摘し、
その回答をだすに至らないまでも、何かしらみんなに考えさせてしまう、
というところがある姿勢なんです。若い人たちのそういうところが、
あんがい気に入っているというか、連中に学びたいと思ってるところです。
 
 今回は、正確な題名は忘れたけれども、とにかく「小さなお店でも、
商店街とか、世の中の何かとかは、確実に変えることが出来る」という、
そんな主張をした、世間一般の常識とはまったく逆の発想を
実践している人の本とかがあって、面白く思いました。
 シャッター通りと化した商店街で、意気消沈しっぱなしの
おじさん・オバさん達に聞かせてあげたい話でしょ?
 だって、この店自体が、ひとっこ一人通らない裏通りの一角にあって、
それでもなお、特に若い人たちにはちょっとした評判と、
ある種のセンセーションを巻き起こしていますから、ね。
 
 世の中ちゃんと見極めて、それなりの手を打って行けば、なんとか変わりそうです。
 イヤ、世の中は変わります。確実に変わります。そう思うと、なんだか
明るい気持ちになってきました。勇気が出て来ました。
 そこで私達老人二人も「じゃねえ!」と言って、元気に店頭で別れました。なには
ともあれ、まずは「お達者で!」
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# by sobaya-mokuami | 2017-08-28 21:47
昨日の続きを・・・
 前日の続きです・・・つまり、要するに、早い話が・・・
『それでいいのか、そば打ち男』についての続き・・・ってことになります。 

 当時(開業数年後)の私は、以前面白くて仕方なかったそば打ちが
ほんとうは意外に手強く、難しくも感じ、「奥の深さ」に
やっと気がついた頃でしたので、その本のことは気にはなりつつも、
わざわざお金を出して読もうという気にはなりませんでした。
 というのも、どうせその本は、団塊の世代の世の男達の
そば打ち道楽を単に冷やかしたものだと、私は考えていたからでした。
 因みに私は団塊の世代ではありません、奴らよりずうっと年上なのです。

 でも、その本を手に取ってみれば、腹が立つことに、「男」の文字だけが
15度ぐらい右に傾いて印刷してありました。あたかも世の中の男達は、
みな「ずっこけている」みたいなメッセージが籠められているかのようで、
さすがに私もムッとして、その折は買わず、
本屋の店頭で放り出してしまった記憶があります。

 でも実際に今回、改めて図書館から借り出して来て、読んでみると、
そればっかりではなかったんですね。確かにそういう部分は
あるのだけれど、それ以上に男女を問わず、著者同世代の団塊の連中に
ハッパを掛けているような本だったのです。
 
 団塊の世代には特有のクセがあって、それを容赦なく
指摘してあるのが面白く、私も今回は夢中で読んでしまいました。
 従って(家内はまさしく団塊世代で)、少なくとも私は、
比較的客観的に読むことが出来たのかもしれません。

 本では、著者のなまじっか同世代への過大な期待感があるだけに
もどかしい気持ちからやや過激な発言になっているという事情が、
よーく判りました。「頑張れ、団塊世代、中高年!」といった内容なんですね。
 イヤ、大変に面白かったです。何しろ若い頃の彼らときたら、
やたら光ってましたからね。全共闘時代にしろ、一大ブームを
巻き起こしたミニスカート旋風にしろ、世の中に氾濫するサブカルにしろ、
ほとんど全部が彼らの世代から始まったことですからね、それが年齢を
重ねるごとに牙を抜かれ、去勢されおとなしくなってしまって・・・
 挙げ句の果ての「蕎麦打ち」では、チョット情けない気が
しないでもありません。たしかに・・・

 読みながら、私は随所に膝をたたいたり、ゲラゲラ笑ったり、
唸ったり感心したりしたのでしたけれど、(だから、どのページも
付箋紙だらけになりました)中でも面白く思ったのは、
アメリカでの子供達への教育に対する考え方でした。
 
 「君は何になりたいの?」と子供に聞くとします。子供は
「サッカー選手になりたい」と答えます。そこまでは
日本でも同じ光景が見られることでしょう。「ふーん、なれると良いね」
で、終わり。でも、アメリカ人は、そこからが違うんだそうです。
 
 「で、君はそれで誰を喜ばせたいと思ってるの?」と、
さらに突っ込むらしいのです。「自分がただ満足するんでなく、
そのことをすることで、君は誰かの為になっているのか?」
ということをことさら問題にするワケなのです。
 つまり、まず個人の意志が尊重されて、次いで他者への視点と言うか、
社会性を要求される。子供にだって、日頃からそれを考えさせる姿勢が、
社会全般に存在してるってことなんでしょう。素晴らしい・・・
 社会性ったって日本にあるのは、単に「他人様の眼を気にする」だけ、でしょ?
これでは、チョットいかんのじゃないのかなあ。寂しすぎますよね。

 それにしても彼のトランプ氏は・・・子供の頃、親にちゃんとしつけを
されてなかったんじゃないの?・・・と、私は、フト考えてしまいましたけどね。
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# by sobaya-mokuami | 2017-08-26 16:41