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まんざらでもない毎日です
 かっこ良く申せば余生を長閑に過ごす「隠居暮らし」、
或は「浪人暮らし」などと粋がっておりますが、所詮は
「毎日が日曜日」の、どうにもならない年寄りの生活です。
 
 でも、まんざら捨てたものでもなく、こうしていても
決して「つまんなくはない」毎日を過ごしおります。
 なぜなら、それはそれで何かとやることは出てくるからです。
 昨日は下の娘達の提案で、ベランダでバーベキューをやりました。
 実は先々週にもやったのですが、木炭を起こすのに手間取り、散々でしたので、
「リベンジを」という婿殿の強っての要望にお応えしたのでした。

 先週は、私の取りかかるのが遅かった所為で、火がおこらず、
四苦八苦の末、なんとか食べ終わった頃を見計らったかのように、
いい案配になってくるという、バーベキューによくありがちの
大失敗をやらかしたからです。「よかよか。最初の失敗は
失敗とは言わずに、『経験』と思えば良い」「イヨッ、出ました!」

 これは我が家にとっての大変便利な格言のひとつでして、
実にしばしば、あらゆる場面で家族の誰か(主に私)が
口にする言葉です。我が家は、何かにつけ「経験させられる」ことの
異常に多い家族・・・なのかもしれません。

 そして今日は、山鹿からのお客さんが、お友達から分けてもらって来たという、
時代小説の文庫本を10册、ドバッと持ってきてくれました。
 偶々先週、関川夏央の『おじさんはナゼ時代小説が好きか』
(岩波書店)を、図書館から借り出して来て、読んだばっかりでしたので、
恐縮しつつも、失礼ながら、ついつい笑ってしまいました。
 さらにおっしゃるには「お家には、それこそ腐る程
持ってらっしゃるから、何なら、もっと貰って来ても?」
という有り難いお言葉。何でも本の持ち主の方は
友人の自転車仲間であるらしく、お親しい間柄のようでした。
 
 蕎麦屋のお客様でもある姉妹の、ホンのすぐ近くに
お住まいのある方なんだそうで、色々なご縁が重なってつい甘えて頂きました。
 「それにしても、有り難い事で」と、赤の他人の私としては、
本当に恐縮して居ます。
 ところで、関川さんの「ナゼ」の答えですが、ハテ、なんでしたか?
 あんまり、大した答えじゃなかったようでしたよ、慥か・・・
 要するに、おじさんは「暇」ですからね。なんでも良かったんじゃ
ないでしょうか?暇さえ潰れれば・・・?
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# by sobaya-mokuami | 2017-09-20 17:06
大型台風がやって来て・・・
 大型の台風が接近中とあって、毎回のこととは言え、準備は大変でした。
 期日の来た図書館の本は返却し、さらに新たに何冊か借り出して来て、
準備おさおさ怠りなく、17 日の到来を待ち構えていました。
 
 直前の昨日は、夕方からベランダに放置してるアレコレのうち、
風で吹っ飛びそうなものだけは、一応、部屋の中へ取り込み、
そうでないものも、念のために紐で括りつけたりしました。
 けれど今朝、九州南の端に上陸したのもつかの間、(少なくとも
私たちの方には)有り難い事に、無事通り過ぎてゆきました。
 午後には、切れた雲の間から青空さえ見えてきました。

 さて、そうなってくると、退屈なんですね。さしたる用事はないし、
無論、借りて来た本をベッドの傍らに積み上げてはいるものの、
そうそうは集中して、長時間読めるものでもありません。
 となると、台所に行って、さほど欲しくもないお茶を淹れ換えたり、
ごそごそと何かを探したりして、叱られたりしてしまいます。
 
 ここ数ヶ月前から我が家は、模様替えと言うか、アチコチと
ガタの来た箇所の修理に明け暮れ、職人さんが出入りしています。
 昨日も、偶々、台所の扉の蝶番付け替えに来てくれていた職人さんに
無理にお願いして、ズタズタに千切れた台所のドアの網戸を
新たに張り替えてもらいました。店は「簡単に張り替えられます」と
請け合ってくれましたけれど、シロウトの手に負えるものではありませんでした。
 
 新築した建物も早や40年近くなると、建物自体も、その三年後に
改装した自慢の我が家も、今や不備だらけです。第一、肝心の私の身体自体に、
(どうやら五感も、脳の方も)問題が生じてきつつあるのだから、
それはそれで、致し方のないことかもしれません。

 ということで、最晩年、ますます妖怪じみた故山田風太郎さんの
ハチャメチャなエピソードなど読んで、大いに鬱憤を晴らしています。
 関川夏央の『戦中派天才老人山田風太郎』95年初版マガジンハウス
 ご紹介すべく、最初うっかり「天災老人」と打ち込んでしまいました。
 そういう傍迷惑なご老人には、私も稀には出くわすこともありますし、
ひょっとしたら私自身も、或はそうかもしれませんけれど、
山田風太郎さんの場合は、正真正銘の「天才老人」です。
 誤解なきよう、念のため・・・
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# by sobaya-mokuami | 2017-09-18 00:15
読書日和
 暇に任せて、のんびり読書三昧の日々を送っています。本日はまた、
まさに格好の「読書日和」です。朝からぐずつき模様のお天気なので、
外出はしたくないし、そう言っても、別に差し支えはないでしょう。
 昨日の夕方は、日が落ちる頃を見計らって、それでも一万歩近く
歩きました。そこまで頑張ると、さすがに足腰に応えますね。

 ところで、昨日の朝日新聞の鷲田清一さんの有名なコラム
『折々のことば』に、中川季枝子さんの言葉として
「本を読むのにもエネルギーが必要です」とありました。
「だとすると、さしづめ俺なんかは外見は悪いが、
まんざらぐうたらしてる訳でもないのか?」と、すこし安心。

 ただ、本を読んで賢くなる人も居れば、或はそうでない人も、
中にはいるかもしれません。どうやら私なんぞは、
もっぱらそのクチらしく、却ってバカになってる可能性が、
ないとは断言できません。だって、その都度、フムフムと感心して
読むんですが、結局はm何がなんだかよく分からなくなってしまって・・・
本を手にした途端、近頃は、いつしか自然に眠たくなって来て、
ベッドの背もたれに寄りかかり本を手にしたまま
眠りこけていることが多いからからです。
 大体において、両サイドにある灯は、煌煌と点けたまま・・・

 関川夏央は、「本など読まずに済めば、それにこしたことはない。
 うかつでも生きてゆける世の中なら、うかつな気楽さに
身を任せてもみたい。本は考える種を与えて、無為の時間を
埋めてくれるが、人を幸せにするわけではない」と、言いました。
 確かにそうなんですよね。でも、多くを望まなければ、それはそれで、
良いのかもしれません。要するに、こちらとしては、
単なる「暇つぶし」なんですから・・・万一何か考えることがあったにしても、
「休むに似たり」どころか、たちどころに「お休みタイム」ですからね。

 私としては、ただ単に、活字を追うこと自体が、
とても、楽しいから・・・にすぎません。
 時空を超えて、どんなに遠くて、昔の偉い人とも
対等につきあえるし、もし私が気に入らなきゃ、即、
パタンと本を閉じれば済むことだし、
こんな気楽な相手はおりません。

 それに私もそうそうはいつまでも、こうしてはおられません。
 加齢とともにどんどん視力は落ちて行き、微妙に左右の視力が違い、
焦点もずれ、細かい字はまるで見づらくなって来ているからです。
 そんな私には、もはや時間などさほど残されてはいないからです。
 なんと申しても、いい加減私は、もう齢だから・・・あ、
それは、皆様、先刻ご承知のことでした。

 「人には二種類のタイプがあって」と、いつだったか書評の中で
河合史夫は言ってます。「生きてゆくのに本など必要としない人間と、
本を読まない訳にはゆかない人間と。前者は幸福だ。しかし後者に
とって、この出版洪水の時代に何をどう読むかは常に悩ましい問題だ」
なんて書いていました。たしかに・・・私は心からそう思いました。
 でも、ひょっとしたら、このお説の中にはご自分のボヤキも、
少しは混じってたのかもしれません。
 その彼が「名うての読書家だ」と太鼓判を押していたのが、長田弘でした。

 数年前に亡くなった希有の読書家であったこの詩人は、
「何の為に本を読むのか」という自ら発した問いに答えるかたちで、
私達にこう教えてくれました。
 「『極上の時間を自ら手にする為に』とそう言い切るのは、
アントニオ・ホセ・ポリバールという名の老人です」・・・と。
 うーん。残念ながら、人によって選択する本のレベルはまちまちだから、
ややもすれば「極上ではない」ところで、私などは満足してるのかもしれません。
 が、それはまあ、この際、「人は夫々」ということにして「佳し」として
おきましょう。そうか、読書というのは「極上の時間」を得ることなんだ!
 ・・・なんだそうですってよ、諸君!ま、せいぜい本は読んで下さい。
 レベルのことは、あえて問いませんから・・・是非。どうぞ。
 
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 これは、数日前の写真です。
# by sobaya-mokuami | 2017-09-07 16:56